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夢か幻か考えごとBlog
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待っ…十月…?


パソコンに触らない生活が続いていてひさびさに落書きしてみるとなんだこれ。
後ろ盾があるとかなんとか噂の謎多き女店員。
なんだこれ。

先月ひとつ歳を召したんですが、節目の誕生日にぬいぐるみを所望してしまった自分はこれでいいのだろうか。抱負は一年もちもちしていきたい。友人はそう言っていた。

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紅い梅雨空(ということにしておこう)


ここ暫くPCが無くて、今見返してみると一月の描きかけカイムが出てきた
ゆっくり描いておきたいなあ、もう

データの損失を重ねているので本当、早めに辿りついておきたい…
まともに完成させたものがこれっぽっちもない。

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途上

異形のひとつ

変わらなかったこと
 舌が馬鹿になったまま
 遅れる癖
 愛情深い自覚

携帯電話もお金も必要ないとお小遣すら拒否していた高校時代に比べたら、スマートフォンを買うか迷っている手に入れたいものの為にまとまった金額が必要だと思い至っている今の私は変貌を遂げている。変容するのだとこうしてようやくわかる。

今は繰り返さないから、振り返らない。これが無意識の選択なら抗わない。今は必要ないと感じる。無意識を考えなくなっている。随分遠回りをしてきた。でも間違いなんてなかった

無器用だが人に触れたい。
やりたい事をしたい。
異形を形にしたい。
今、心の葛藤は殆ど無い。こんな時がきた。そんなことってあるんだね。
地に片足めり込ませてこうして立っていたいね



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希望

辟易とした。辟易とし過ぎた。


作場さんのワークスを見て、
古い紙を使って、ああ現実を現実と認識し直さなければならないと、ああ
 
作場さんの文章はいちいち読ませられる。
自分を信用できなくなっていたと同時に他人も信じられなくなっていた。
見つけた。やっと見つけた。


ブログで仰っていることもいたく共感する。私は迎合をよしとしては駄目だ。それなのに自己が弱い
twitterまで読み返している。私は私を私だと意識し過ぎない方が賢明だな、世界は皆同じ。
 
未来へ自分が生きねば、行動を開けていかねば、たまったもんじゃない。
 
自分の力だけで生きていく方がいい。そのために活きるっていうのが自然じゃないか。
何も難しくなんかない。素材の調達が厄介だけれど。
 
物を愛する。関心を持つ。すべては連続していてその流れに自分を見出すために何かをする。というかやりたいと思うことをやる。すべては等価で連鎖で絶対的に隔絶されている。認識を検分する。メンテナンス。ただ頭は柔らかいからこっちのほうがよく崩壊する。防ぐには強度を上げるか退避する他無い気がする。自己を見出す。自己が生きる指向性を定める。また一年前の繰り返しか。でもすべて今この自分が生きる様を検分している、何も間違っていない。そうか、間違っていないのかもしれない。私は私を許す必要がきっとある。無理。

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絶望

言葉を繋ぐ事を自分に許せませんが、もういいでしょう。変わりがありません

人間にはものを察する自我が、心があるのです。どんな人にだってある。
それなのに、伝える以前と以後とで何も変わりありません。ここに人間はいないと思いました。
でもそれは私の高慢やエゴで人間というのは元々こういう生き物だったのでしょうか。それなら私は余計に人間を辞めたくなります。
人間のこういう所を、私は恐れ憎んできました。
それでも、人間が好きだと、苦しみました。
今回の家庭問題の一連の対応で決定的に人間が分からなくなりました。家族って友人ってなんだったんでしょう。
ネットに逃げたことを後悔しました。こうなってはならないという思いを手に握っていたはずがいつの間にか緩んで放していました。ネットにあるのは現実に生きた人間の体系。ネット上の情報だけをかいつまんで生きている気になるのは大間違いです。
つまりはすべてその先に、生きいている人間の意識が、行動があるということ。
まさか現実のコミュニケーションにこの齟齬が存在するとは、(しかも身近に)思いませんでした。そして直面して、こうも気がつかないものかと絶望しました

気が狂っていくのが自覚できてとても怖かった。世に出れないと思うと余計どうしていいか分からなかった
決して他へ知らせるべきでないことは分かっていました。分かっていながら、事が過ぎた今文字を綴っています。キャパシティを超過した自己矛盾が続いて疲弊していても、やはり書くべきでないと思う。でも負い目を感じながらも吐かずには
いつまで吐けば許せるのか。私は許せないものをどうしたらいい?

私こそが世間知らずで人間知らずで、間違った認識をこの世の真実だと思い込んでいたのでしょうか。
絶望を知って歪んだ思いを抱えたまま今も生きています
あるきっかけからすべてを憎いとさえ思ってしまった、こんな思いを抱えたまま生きていくのは辛すぎます

でも一度、命を絶つ覚悟をしてから、毎日何をするにも少し気が晴れています
おかしな話です。全くおかしい
ただ人より生きる覚悟をして生きてきただけなのに、どうしてこうなるんでしょうね。
今いる世界のすべてと折り合いがつきません。
そして感じるのは、ただただ己は場違いだという恥、焦燥、相容れない孤独、と
本当に嘆きたいのは何を見ても以前の観点には戻れないということ
私はいつだってただの作りつけの棚を見てどこかしらに感心していたのです
今は棚を見ても何も感じません。見ようとできない。見えない。そこにないのと同じです。

存在しないんです。私から相対的な世界が感じられなくなってしまった。世界を感じられなくなった。
一時的なものだと願いたい。認めたくない。私はいよいよ神経を患っている



今朝は休みなので飼い犬と一緒に久々に散歩をしました。
春めいた陽の中で、青空の下歩くだけで、私は幸せだと思えます。もうこれ以上書くのは白々しい。私は殺したかった私を、殺せなかった私として生活することになります
白々しい。空が綺麗でも私は愚か者です。

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